地図で佐賀市中心部を眺めると、見えてくるのが「コ」の字が逆になった形のお堀。そう、この堀に囲まれたエリアがまさに『佐賀城』です。この地区にあった建造物は、明治初期に起こった「佐賀の乱」で、鯱の門、鯱の門続櫓、本丸御殿以外がほとんど焼失。現在は、このエリア内に佐賀県庁や佐賀県立図書館、県立博物館や美術館、小学校・中学校や高校と、行政や文教施設が並んでいますが、本丸だったエリアを中心に少しずつ整備が進んでいます。
佐賀城本丸跡地に本丸御殿の遺構を保全しながら復元し、整備された「佐賀城本丸歴史館」を中心に巡りながら、幕末・維新期の佐賀藩を感じていきたいと思います。
佐賀城本丸歴史館
佐賀駅バスセンターからバスで約15分。
幕末維新期に日本の近代化を先導した佐賀藩の功績を分かりやすく伝える歴史博物館として開かれている『佐賀城本丸歴史館』。19世紀前半・天保期の佐賀城本丸御殿の遺構を保護しながら本丸御殿を日本で初めて、木造で復元しました。
2004年(平成16年)に開館し、来年で20年になります。復元された建物の広さは約2500平方メートル。建物全体で畳712枚が敷かれています。館内では、佐賀藩の科学技術や佐賀が輩出した偉人など、「幕末維新期の佐賀」の魅力を紹介しており、ボランティアガイドによる解説でより深く触れることができます。また、毎週日曜日には1日5回、歴史寸劇が行われています。
今回は、ボランティアガイドの長久 晴躬(ながひさ はるみ)さんに館内を詳しく案内していただきました。
佐賀城本丸歴史館では、開館当初から展示解説を地元在住の方を中心としたボランティアで行っていて、現在、約70名が「佐賀城本丸ボランティア」として活動されています。長久さんは現在82歳。県外の博物館でもガイド経験あるそうで、家族がここのガイド募集を見つけてくれて、佐賀のために応募。長久さんは「ガイドの育成制度がしっかりしていて、佐賀城や佐賀の幕末を学びながら、来場者にわかりやすく伝えています」と話してくださいました。
長久さんによるガイドツアーが始まります。「本丸御殿は、佐賀藩第10代藩主・鍋島直正が、1835年(天保6年)の佐賀城大火災で、それまでの藩政の中心としていた二の丸が焼失したことから、本丸の再建を表明し、1838年(天保9年)に建てられたものを、当時の建物や遺構を生かし、建築方法も伝統工法にこだわった佐賀の重要文化財なのです」と早速教えてもらいます。
改めて案内いただいたのは、佐賀城本丸歴史館の入り口「御玄関(おげんかん)」。現在は、見学のために入るほとんどの人が、この玄関から出入りしますが、当時は佐賀城本丸御殿の正面玄関として藩主など特別な人だけが利用する玄関。
何気なく出入りしてしまいますが、ガイドさんから説明を受けるとちょっと気持ちが引き締まります。
建物に入るとまず見えてくるのは「御式台(おんしきだい)」。当時は正面玄関から入った藩主などの待機場所として、また様々な行事を行う場所として使われました。現在、ここには、甲冑や鉄砲を展示しています。
次に目に入るのは、大広間「外御書院(そとごしょいん)」につながる45メートルも続く畳敷きの長い廊下。
「廊下と言ってもこの長さと広さに最近は『映えスポット』の一つとして写真撮る方が増えています」と長久さん。「真ん中に欄間(らんま)がありますね。廊下とはいえ、ここで部屋を分けられるようにして、有効活用できるようにと、直正公による工夫を感じることができます」と教えてもらいました。
そして、この本丸御殿の象徴的な場所と言える大広間「外御書院」は、一之間から四之間と先ほどの廊下を合わせると320畳あります。幕府からの贈答品やお世継ぎのお披露目など、佐賀藩の公式行事が行われ、本丸の完成披露の際には、約1000人の家臣が集まったそう。藩主は一之間に座り、家臣は主に二之間から四之間にかけて控えます。
続いて案内いただいたのは「外御書院」の奥にある「御三家座(ごさんけざ)」。当時は、小城藩・蓮池藩・鹿島藩の三つの支藩を治めた小城鍋島家・蓮池鍋島家・鹿島鍋島家の御三家が集まる部屋だったそうですが、現在は、「『佐賀城の変遷と本丸』 よみがえる佐賀城」と題し、佐賀城の変遷や復元過程を紹介する部屋になっています。
佐賀城の変遷、本丸御殿建築構造や小屋組など当時の工法について、本丸御殿全体と歴史館として復元された部分の模型を見ながらその広さなど、ここだけでも細かい話を聞くとあっという間に時間が経つほど色々なことを教えてもらいました。
続いて、「屯之間(たまりのま)」。当時は家臣が集まる控えの場所だったそうですが、現在は「佐賀城の復元」や「幕末佐賀藩の歴史遺産」などを上映する映像コーナーになっています。
奥に進むと右手にある「御小書院(ごこしょいん)」では当時、御三家との面談や側近たちとの会議が行われていたそうで、現在では、特別展示室として、幕末維新期の佐賀にまつわる企画展示が行われています。
訪問した日にはテーマ展「石川九楊賞鑑精選 だれも知らない明治維新 副島種臣書」が開催されていました。
こちらのテーマ展は、2024年1月14日(日曜日)まで開催されています。
さらに進むと辿り着くのが「御座間(ござのま)」。ここから畳の色が変わり、天保期の建物と教えてもらいました。確かに柱や壁などにその歴史を感じることができます。
二間に分かれていて、藩主の執務室と家臣の待機部屋「堪忍所(かんにんどころ)」でした。明治以降、城としての機能を失った後、本丸歴史館になる前は、役所や裁判所、学校や公民館の建物として使われていたそうです。
「藩主の執務室だったのに調度品が少ないのは、当時の資料が文書でしか残っておらず、確かなものがはっきりしないため」と長久さんに教えてもらいました。
再び「外御書院」の方に戻る手前にある「南廊下」には、幕末維新期の佐賀を紹介する様々な展示が並んでいます。
長久さんが特に熱く解説してくださったのは、長崎港の警備を行っていた佐賀藩のこと。1808年(文化5年)にイギリス船が長崎港に不法に入港して引き起こした「フェートン号事件」や1840年(天保11年)から1842年(1842年)に中国がイギリスに敗れた「アヘン戦争」に佐賀藩が危機感を高め、藩の財政再建や人材を育成、日本初の反射炉や鉄製大砲の鋳造など様々な技術革新を進めていった、とのこと。
そして、ガイド最後のエリアとなる「御料理間(おりょうりのま)」。当時は、家臣や藩外の人たちと対面したり、客人を料理でもてなしたりする場所として利用されていたそう。
現在は、第10代藩主・鍋島直正についてと、幕末の佐賀藩の医学や科学技術を紹介する展示エリアになっています。「ここには鍋島直正が『新たな時代』に対応するために人材育成に力を入れ、農業改革はもちろん、佐賀で種痘が始まったり、日本初で鉄の精錬に使われる反射炉が作られたりするなど、様々な技術革新によって、幕末維新期の日本の発展のもとが詰まっています」と話をしてくれました。
スポット名 | 佐賀城本丸歴史館 |
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住所 | 佐賀県佐賀市城内2-18-1 |
電話番号 | 0952-41-7550 |
営業時間 | 9時30分から18時 |
休館日 | 12月29日から1月1日 ※その他 臨時休館日あり |
料金 | 無料(募金の協力をお願いしています) |
駐車場 | あり(無料) 収容台数:119台 |
アクセス | ■公共の交通機関を利用の場合 佐賀駅バスセンターからバスで約10分 ■車を利用の場合 佐賀大和インターチェンジから約25分 |
備考 | 佐賀県立 佐賀城本丸歴史館(ホームページ) 【ボランティアガイド】 ■常駐ガイド(個人向け) ・申込 :当日、受付で申し込み(ガイドの人数に制限あり) ・料金 :無料 ・所要時間:60分から90分 ■一般団体ガイド・学校団体ガイド ・申込 :来館3日前までに団体観覧申込書に必須項目を記入のうえ提出 ・料金 :無料 ・所要時間:60分から90分 ※ガイド1人あたりの案内人数は20人程度 ※ガイドの人数に限りあるため、20分程度の概要説明か自由見学になる場合あり 佐賀県立 佐賀城本丸歴史館 ボランティアスタッフ(ホームページ) |
佐賀県立佐賀城本丸歴史館
佐嘉神社 / 松原神社
佐賀城北堀の外側に位置し、佐賀城本丸歴史館からは徒歩で約15分、車では約5分の距離にある「佐嘉神社」と「松原神社」。1772年(安永元年)に佐賀藩8代藩主・鍋島治茂が、鍋島家の藩祖・直茂を祭神とする社として現在の「松原神社」を建立したことが始まりで、当初は直茂の戒名・日峯宗智大居士から「日峯(にっぽう)社」と呼ばれました。この名前は、現在、春と秋に行われているお祭り「日峯さん」に受け継がれています。
「佐嘉神社」は、佐賀藩第10代藩主鍋島直正、第11代藩主鍋島直大(なおひろ)をお祭する神社。直正と直大は当初、松原神社に南殿を作り祭られていたそうですが、国への功労が大きかった人物を祭るという神社「別格官幣(かんぺい)社」でお祭りしようという声が地元・佐賀で高まった結果、1929年(昭和4年)に別格官幣社として佐嘉神社を造ることが決まり、1933年(昭和8年)に「松原神社」の隣接地に社殿を建築、これまで松原神社にあった直正や直大の霊を移したということです。
佐嘉神社正面入り口には鍋島直正が当時の長崎警備増強の必要性から製造したと言われる「カノン砲」、境内には「佐賀の大砲」として威力を発揮したと言われる「アームストロング砲」の復元したものが展示されているほか、直正が亡くなった際に明治天皇が送ったとされる聖勅(せいちょく)「忠勲の碑」があるなど、ここでも佐賀藩の功績を感じることができます。
また、松原神社には、「文禄・慶長の役」の末期・1597年(慶長2年)に鍋島直茂が朝鮮から連れてきた李三平氏ら陶工が有田焼の基礎を作ったことから奉納されたという「白磁の燈籠」や「白磁の鳥居」など佐賀ならではのものも見ることができ、こちらでもここだけの発見ができそうです。
スポット名 | 佐嘉神社 / 松原神社 |
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住所 | 佐賀県佐賀市松原2-10-43 |
電話番号 | 0952-24-9195 |
営業時間 | 5時から18時 |
駐車場 | あり(有料) 100円/60分 |
アクセス | ■公共の交通機関を利用の場合 佐賀駅からタクシーで約7分 佐賀駅バスセンターからバスで約10分 佐賀空港からバスで約20分 ■車を利用の場合 佐賀大和インターチェンジから約20分 |
備考 | 佐嘉神社(ホームページ) |
佐嘉神社
徴古館
佐嘉神社・松原神社のすぐ西側にある「徴古館(ちょうこかん)」は、佐賀藩主・侯爵(こうしゃく)鍋島家伝来品を収蔵する歴史博物館。鍋島家12代当主直映(なおみつ)が1927年(昭和2年)に開設した佐賀県内初の博物館で、開館当初は、肥前関係の古文書・古器物を陳列し、現在の県立博物館に当たる役割を果たしていたそうですが、1945年(昭和20)に建物接収による閉館。しばらく建物が使われない状態が続いたそうです。1997年(平成9)にこの建物が国登録有形文化財となったことをきっかけに、1998年(平成10)に1階を展示室として公開し、博物館として再開しました。
現在は、公益財団法人鍋島報效(ほうこう)会が年数回、旧佐賀藩主・侯爵鍋島家伝来の歴史資料・美術工芸品を展示する企画展や講演会、音楽会などを企画しています。伺った時には「佐嘉神社創建90年記念展 ー佐嘉神社と鍋島家―」という企画展が行われており、ここの展示を通じても鍋島直正の功績に触れることができます。
こちらの企画展は、2023年11月26日(日曜日)まで開催されていますので、ぜひ足を運んでみてください。
スポット名 | 公益財団法人鍋島報效会 徴古館 |
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住所 | 佐賀県佐賀市松原2-5-22 |
電話番号 | 0952-23-4200 |
営業時間 | 【展示室】 ※展覧会期間中のみ公開 9時30分から16時(入場は15時40分まで) |
休館日 | 月曜(祝日の場合は翌平日) |
料金 | 有料(展示会による) |
駐車場 | あり(有料) 100円/60分 |
アクセス | ■公共の交通機関を利用の場合 佐賀駅からタクシーで約7分 佐賀駅バスセンターからバスで約10分、「県庁前」下車・徒歩約3分、「佐嘉神社」下車・徒歩約1分 佐賀空港からバスで約20分、「県庁前」下車・徒歩約3分 ■車を利用の場合 佐賀大和インターチェンジから約20分 |
備考 | 徴古館(ホームページ) |
徴古館
佐賀城本丸歴史館を起点に幕末の日本の近代化における佐賀藩の功績を改めて知ることができ、この頃に想いを馳せてしまいます。ガイドさんから深く教えてもらいながら、佐賀城と佐賀の歴史を深く感じてみませんか。